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Research and Development Archive

 先日投稿した、研究開発力に関する議論の続きです。

 読売新聞の社説に、つぎのような内容のことが述べられています。

[通信・放送技術]「外国を喜ばす研究所分離」
(2006年3月14日:読売新聞社説

 日本が世界に誇る研究機関を“漂流”させようとする構想が持ち上がっている。とても見過ごすことはできない。

 ヤリ玉にあがっているのは、NTT研究所とNHK放送技術研究所だ。竹中総務相の私的諮問機関「通信・放送の在り方に関する懇談会」で、一部の委員が本体からの分離・独立を提案している。

 NTT研は、約3000人の研究者が約1470億円の事業費で、通信の基盤技術を研究している。放送技研は約260人が約90億円で、放送や音声、映像に関する研究開発に当たっている。

 NTT研は、超高速で情報を送受信できる「光」に早くから着目し、光通信の基礎技術を開発してきた。通信網の組み方から光ファイバーなどの部品まで、NTT研の技術なしに、世界一発達した日本の光ネットワークはない。

 放送技研はハイビジョンの開発者として知られる。画面の縦横比率や走査線数は、放送技研が決めたものだ。

 両研究所の技術は、日本のハイテク産業を支えてもいる。日本勢が圧倒的に強いファクシミリは、NTT研が効率的な符号化方式を発明し、普及に貢献した。放送技研が開発を主導した薄型テレビや撮影・放送機材は、国内電機メーカーの重要な収益源になっている。

 分離論者は、NTTとNHKが研究所の技術を利用し、事業の優位性を確保していると主張する。中立的な研究所に改組し、すべての通信、放送事業者が平等に技術を使うのが望ましい、という。

 NTT研が携帯電話で独自方式を開発し、ドコモがそれを採用したことが日本のマイナスになった、とも指摘する。

 分離した場合、研究費はどう捻出(ねんしゅつ)するのか。売上高に応じて比例案分する方法などが想定されるが、新規参入した通信事業者や民放に、高額の研究費を負担する覚悟があるとは思えない。政府の研究機関と統合すれば、技術が現場と遊離してしまい、達成度は落ちるだろう。

 通信・放送の世界的な規格統一協議で日本が劣勢なのは事実だ。携帯端末では国内メーカーがドコモ方式にこだわり、海外市場で後れを取った。

 だが、それは研究所の責任ではない。責めを負うべきは、交渉に失敗した政府であり、海外での販売戦略を誤った携帯端末のメーカーである。

 米AT&Tに付属していたベル研究所は、通信自由化で分離・再編を繰り返すうち開発力を低下させた。60年間に11人のノーベル賞受賞者を輩出した輝きはない。日本はこの轍(てつ)を踏んではならない。研究所分離は外国を喜ばすだけだ。

 この社説を書かれた論説員がどのような方であるかは存じ上げませんが、まったく仰るとおるです。

 議論の内容をフォローする前に、まずこの「通信・放送の在り方に関する懇談会」のバックグランドについて探ってみましょう。

 久しぶりの投稿です。

 総務省(竹中平蔵総務大臣・郵政民営化担当)主催の「IP化の進展に対応した競争ルールの在り方に関する懇談会」の第3回会合が、2月1日に霞ヶ関で開催されました。

  ・議事次第(出席者一覧)
  ・配布資料
  ・議事概要(現時点では未掲載)

 提出資料を見ると、各社それぞれのカラーが如実に表れていて、とても興味深いのですが、そんなことはさておき、会合の模様(の一部)がレポートされていましたので、オブジェクションします。

総務省の懇談会、NTT再編についてKDDIやソフトバンクらが熱弁を振るう
(2006年2月1日:INTERNET Watch)

 当然ながら、各社の思惑が複雑に絡み合っていますが、「危うい」と思ったのは、KDDI代表取締役社長兼会長のこの一言。
(某・損さんのムチャクチャな試算もすごいですが・・・)

●「技術開発の主導は通信事業者ではなくメーカーに」

 KDDIの小野寺氏は、 「重要なのは技術開発の研究主体は誰なのか、を考えること」とコメント。「海外の事例では、ほとんどの場合メーカーが技術開発を担当しており、オペレーターが開発するのはサービスレイヤーの部分」と指摘し、「日本の技術力、メーカーの力をつけるためには、技術開発はオペレーターがすべきではない。技術開発の観点を考えるべきだ」とした。

 世界に冠たるKDDIさん配する「KDDI研究所」の存在意義を、自ら否定するようなご発言ですが(もっとも、欧米のキャリアからすると、日本のキャリアのことなど、眼中にないみたいですが)、「技術開発はメーカーに任せておけばよい」などというお考えを、まさか一大キャリアの最高経営責任者がなさっていたとは・・・。

 もっとも、上記の発言は、長丁場の議論の断片を切り取ったものであり、発言の前後の状況を聞いてみない限り、真意の程は計れませんが(また、私のような若造が、こちゃこちゃとオブジェクション申し上げることすら憚られますが)、

 と、その前に、「KDDI研究所」では、どのようなご研究をなさっているのか、見てみましょう。

  ・マルチメディア・アプリケーション分野
  ・モバイル・ワイヤレス分野
  ・IP・ネットワーク分野
  ・フォトニック・ネットワーク分野
  ・ユビキタス・ネットワーク分野
  (KDDI研究所のHPより)

 私の理解が間違っているのかも知れませんが、どう見ても「サービスレイヤーの部分」だけに留まらないような気が・・・。

 この発言は、現在の状況を述べているのではなく、将来の研究開発の方向性を示しているのだ、ということにしておきましょう。

 さて、

(以下、まだ書き掛けです)

〔読んでみると面白いかも書籍〕

  「通信崩壊―IT革命と規制緩和の結末

 3年ほど前の本です。少々刺激的なタイトルですが、ある意味、現在の状況を予見していたような興味深い本です。

 皆さんは、その昔、インターネットが繋がらなくなって、プロバイダや電話局に電話したら、何だかんだとたらい回しにされた挙げ句、けっきょくは原因がよく分からなかった、という経験はありませんか? 端的に言うと、そういうことです。

 たしかに、規制が新規参入の障壁になっている分野では、規制を撤廃(または緩和)すべきです。ただし、規制があるからといって、何でもかんでも撤廃すればいい、という単純なものではありません。

 現在の規制撤廃・改革推進論者たちの立ち居振る舞いを見ていると、どうも規制撤廃による「見掛けの」利得よりも、規制撤廃自体が目的化しているように見えてなりません。

 ここで「見掛けの」といったのは、たしかに通信料金という、大部分の国民にとっては最も分かり易い、表層的な面でのメリットはありましたが、その結果としての縦割り(正確には、サービスの「横割り」による一貫性の喪失)による質的な面でのデグレード(デメリット)が大きく現れてしまっている、ということを意味しています。

 見掛けの「国民益」だけでなく、これまでの日本の発展を支えてきた研究開発能力を削ぎ落とすことによって、さらには「国益」まで損ねようとしています。

 規制緩和の「影」の面が、すなわち今回のホリエモン騒動やアネハ事件だ、というのはいささか論理の飛躍がありますが、ただ、誰しも、あながち無関係だとは言い切れないでしょう。

(その前に、もっと根幹にあるのは、「ゆとり」という見せ掛けの甘い言葉で、教育の質を落としてしまったことです。いまさら押っ取り刀で手綱を引き締めたところで、失われた「国民の質」は、そう簡単には回復できません(というか、もはや回復は無理でしょう)。これが現在の「格差拡大」の大きな要因の一つだと考えています)

 この本の著者がどのような方かは存じ上げませんが、同じ著者にこのような本もあります。前著からのその後の状況を述べたものですが、現在の規制撤廃・改革推進論者たちと業界人たち(特定の)との蜜月関係なども、鋭く述べられています。
(握手までしてしまった某大臣は、苦しい答弁を迫られていましたが・・・)

〔言いたかったこと〕

 で、何が言いたかったかというと、やはり、
   「ものづくりの力を弱めてはいかん」
ということです。

 額に汗して労働もせず、人の作ったものを右から左に流して中間をかすめ取ったり、価値の分からないものに価値を付けて儲けを得ようとしたり、あるいは人の舵取りを端から眺めてあれこれ偉そうに指図するというような、まったく生産性の欠片もないヒトたちにイニシアティブを取られていたのでは、この国はダメになってしまう、ということです。