クルマとは少し離れますが、どうしても書き留めておきたい「思い出の品」があります。いまではコテコテの技術屋となってしまった、当工房の職人を生みだした、原点ともいえる品です。0xF9C6
その名も、「学研電子ブロック」。1~2年ほど前、物置を掃除していた時に“発掘”されました。
それまでその存在は完全に“主記憶”から消え去られていましたが、この青いパッケージを見た瞬間、当時の思い出が走馬燈のように甦ってきました。0xF9C5
いつから“理系の道”を歩み出したのかは定かではありませんが、昔から「理科」と「図画工作」はよくできました。ただ、なぜだか「算数」は、いまひとつでした。逆に、本はよく読んだので、「国語」は良かったような。0xF9C6
職人が小学生低~中学年だったころは、ガ○ダムをはじめとする、いわゆる「ロボットもの」の全盛期でした。クラスの中では、いつもその話題でもちきりです。
しかし、そのような中にあっても、
(宇宙空間をモ○ルスーツで自由移動するだって? そんなもん実現する訳ね~だろ! ケッ!)
とか心の中で思いつつ、
「そ、そうだねぇ。格好いいねぇ」(へらへら、へら~)
とアダプティブに対応する、マセた子供でした。0xF9C8
#O型の天秤座のため、確たる自分は持っていても、あえてそれを主張したりとか、争い事は好まないのでした。
#子供ながらにも、
「そもそも、あれだけ科学技術が発達した世の中にあって、いまだに生身の人間が命を賭けてドンパチやってるところが笑止千万。しかも、「ニュータ○プ」だかなんだか知らないが、けっきょくは人間の“勘”に頼ってるところが片腹痛し。本物の惑星間戦争であれば、もっと冷酷に、しかも一瞬にして片が付くはずだ」
と思っていました。ほんとに、生意気な子供でした。0xF9C7
プラモデルも、自分の気に入ったクルマは作ったことはありますが、それほどたくさん作った記憶はありません。なぜなら、どんなに精巧に作ったとしても、けっきょくは他と同じような形にしかできあがらないからです。
どちらかというと、ホオ板を糸ノコで切り出して、タミヤの「楽しい工作シリーズ」にマブチモーターを組み合わせて、「タイレル6輪レーシングカー」や「2chリモコン戦車」などを作っていました。
#「ティレル」(TYRRELL)って、昔は「タイレル」って読んでたんですよね。懐かしい。
話が横道に逸れましたので、元に戻します。
小学生の当時、父親(母親?)が学研の「科学」と「学習」を取ってくれていて、毎月、学研のおばさんが届けに来てくれることを、いまかいまかとワクワクしながら待っていたものです。
この「科学」と「学習」には、毎号、付録として「実験セット」なるものが付いていました。職人には、一つ年上の姉がいるのですが、この「プチ問題児」、自分の分に飽き足らず、すぐに姉の分まで作ってしまうため、いつも姉に怒られていました。0xF9C7
その「科学」と「学習」のいちばん後ろのページには、トランシーバーや電子実験キットなどの広告が載っていて、毎月ボロボロになるまで見とれていました。
ある時、その広告のページに、「電子ブロック」なるものを発見しました。しばらくすると、さらに「シンセサイザー」の文字が。
「なんだろう? シンセサイザーって?」0xF9CB
いまでいう、「ユビキタス」とか「レゾナント」とかいう言葉の部類になるかと思いますが、当時としては見慣れない言葉に、「プチ問題児」は興味津々となりました。
ただ、この「電子ブロック」、実験できる回路数よってブロック数が変わり、それに応じて値段も高くなります。シンセサイザーの付いたモデル(EX-181)は、当時の最高峰モデルで、確か価格が2万円近くしたと思います。
小学生なりに「ちょっとおねだり過ぎかなぁ」と思っていたのですが、意外とあっさり買ってもらえたように記憶しています。
しっかし、昭和50年代前半の当時、小学生中学年に2万円近い「オモチャ」を買い与えるとは、うちの父親も太っ腹です。きっと職人の将来を見込んで、、、ではなく、いつも付録を横取りされていた姉を不憫に思ったのでしょう。0xF9C7
#ただ、物置の2Fにオシロスコープが転がっていたような家なので、そのあたりの理解もあったようです。
かなり年季が入っています。発泡スチロールの角が取れてしまっています。きっと、毎日毎日、飽きることなく実験を繰り返していたのだと思います。
「お宝探偵団」に出しても何の値打ちもないと思いますが、職人にとっては、何物にも代え難い「思い出の逸品」です。0xF9C6