私を惹きつける二つの根本的な問題とは、
「現実とは何か?」、「真正の人間を形作るものは何か?」
というものです。
フィリップ・K・ディック
以前に、リドリー・スコット監督の「Black Rain」(1989年)をご紹介しましたが、今回は、「Blade Runner」(1982年)をご紹介します。
#Bladeとは「手術用のメス」、Runnerとは「密売人」の意のスラング。Blade Runnerとは、医療用品の密売業者のこと。
この作品、これまで私が観てきた映画の中で、「最高の傑作」だと思います。私の最も好きな映画です。映像も、音楽も、ストーリーも、キャスティングも、すべて「完璧」です。0xF9C6
同年代に初回作品が公開された「Star Wars」が、万人にも分かる、いわば“お子サマ向け”の映画だとすれば、「Blade Runner」は、まさに“大人向け”の映画といえるでしょう。
それは、単なるSF映画の域に留まらない、深くて重いテーマ、「現実とは何か?」、「人間とは何か?」を扱っているからです。
中学生のころに初めて観た時は、ジ~ンとくる感動で、しばらく動けなくなってしまいました。
2019年のロサンジェルス
炎を吹き上げ大気を汚す高層タワー群の向こうに
ピラミッド(あるいはマヤの神殿)を思わせる巨大建造物
(空中には、スピナー(飛行自動車)が飛び交う)
タイレル・コーポレーションの巨大建造物の中
デッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)とが
初めて出会うシーン
(巨大なテーブルの上には、なぜかBONSAIが。映画中、随所に東洋嗜好が見られる)
雨の中の決闘のあと、ロイ・バディ(ルドガー・ハウアー)が
最期にデッカードに語り掛けるシーン
(背景には、TDKの巨大なネオンサイン。その他、日系企業の看板多数)
もっとも印象に残るシーンは、やはり映画のクライマックス。酸性雨の降りしきるブラッドベリー・ビルの屋上で、最期の時を迎えたロイ・バディが、デッカードに語り掛ける、禅問答のようなシーン。
俺たちは、お前ら人間が信じられないようなものを見てきた。
オリオン座のふちで燃える宇宙船、
タイホンザー・ゲートの暗黒できらめくオーロラ。
その想い出も、 やがて消える。
涙のように、 雨のように。
その時が、 来た。
〔原 文〕
I've seen things you people wouldn't believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser Gate.
All those moments will be lost in time.
Like tears in the rain.
Time to die.
う~ん、すばらしいっ! すばらし過ぎるっ!0xF9CF
(原文では、「雨の中の涙のように・・・」になりますが、吹替では、「雨のように・・・、涙のように・・・」となっています)
(ちなみに、「Like tears in the rain.」は、元々のスクリプトにはなく、ルドガー・ハウアーのアドリブとのこと)
で、以前にBMWの映像を探すために、Google Videoをググっていたら、なんと、このシーンが収録されていることを発見っ!
ttp://video.google.com/videoplay?docid=4176679811538561619
(さすがに、直リンクをを張るとまずそうなので、hを付けてコピペしてください)
「Blade Runner」の奥行きの深さついて、私がいくら言葉を重ねても説得力がないので、村上龍氏と坂本龍一氏との対談集「EV. Cafe ~超進化論~」(講談社:1985年)から、その一節をご紹介します。
(新書版は、すでに入手不可)0xF9F8
「ブレードランナー」における神の復活
村上:
「ブレードランナー」がすごく面白かったのは、もう一回、神の問題が復権してくるということだと思うんだ。
神はいるか。今度は人間自身が神になってくるわけだね。リドリー・スコットという監督はそういうことを無意識に言っているわけでしょう。だから「ブレードランナー」を見て、ジーンと思わず涙がにじむのは、たぶんそういうことだと思うんだな。
坂本:
「ブレードランナー」の映画自体の最後はわりと陳腐なんだけど、あの陳腐さを取り除いてもなおいいものとして残るのは、あそこで死んでしまうレプリカントと、僕たち人間というのは全く同じということだよね。
レプリカントの場合は記憶を企業によってプログラムされていて、寿命が4年しかない。人間の場合も、DNAというシステムや、文化というシステムによって記憶がプログラムされているわけで、寿命が70年であるというだけの、数値の違いでしかないわけ。全くわれわれと同じなんだ。あのレプリカントが、われわれはどうやって生まれて、アイデンティティはどういうもので、なぜ死ななくてはいけないかと、深刻に考えるわけだけど、全く僕たち人間の問題だよ。
それはいま龍が言ったように、まさしく宗教の問題でもあるし、神の問題でもある。テクノロジーが限りなく発達することによって、われわれが限りなく神に近づいていくことで、そういう問いがテクノロジーの側から出てきてしまう。つまり、レプリカントでさえ神を問うてしまうというようなものをもたらすものが、われわれのテクノロジーでしょう。まさにそういうところまで僕たちの能力が行っちゃってるわけね。
村上:
レプリカントが死ぬとこ、いいもんな。「時が来れば、思い出も消え去る。涙のように、雨のように・・・」って言ってさ。
坂本:
(脚注: 西洋ではハトは魂の象徴。はたして、人造レプリカントにも魂が宿っていたのか?)村上:
自分をつくったやつに会いに行ったりさ。それは俺たち自身が神を殺したり・・・。
坂本:
(脚注: 古代の神話には、人間(または半神)が自らの創造主である神を殺すという伝承がいくつかある)村上:
まったく同じなんだよね。ハリソン・フォードのことはほとんど何も覚えていないもんね、あいつのことばかりだよ。(笑)
(脚注:“あいつ”とは、逃亡レプリカントの首領、ロイ・バディを演じる、ルドガー・ハウアーのこと)
ちなみに、この二人の“龍”、村上龍氏、坂本龍一氏とも、当時34歳(1952年生まれ)でした。
(いまの私と、ほぼ同い年)
#う~ん、二人の龍も、この私も、ずいぶん年を取ったなぁ。0xF9C5
さらに、Google Videoをググっていたら、なんと、「On the Edge of Blade Runner」を発見っ!
ttp://video.google.com/videoplay?docid=3807826142091223684
(同じく、hを付けてコピペしてください)
この映像、英国のテレビ局「Channel 4 Television」が放送(2000年7月10日)した、Blade Runnerに関するドキュメンタリー番組で、日本では未公開のものです。
番組では、リドリー・スコット監督をはじめとして、映画の関係者、出演者が続々と登場し、Blade Runnerについて約1時間にも渡って語り尽くすとととに、本編からカットされてしまった未公開シーンも紹介されています。
さらには、なんと、原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(ハヤカワ文庫、講談社ワ-ルドブックス)の作者、フィリップ・K・ディック氏の生前の映像を見ることができます。
(講談社ワ-ルドブックスの新書版は、すでに入手不可)0xF9F8
(監督のリドリー・スコット氏)
さらに^2、20年近くの時を経て、リドリー・スコット監督自らの口から明かされる、デッカードに関する「衝撃の真実」。
(やっぱり、そうだったか・・・)
ブレラン・ファンにとっては、まさに、激・激レアモノの映像です。
(削除される前に、ゲットしておこうっ!)
さらに^3、Blade Runnerを極めたい方は、「メイキング・オブ・ブレードランナー」(ソニー・マガジンズ:1997年)があります。撮影の舞台裏から、“なぜ2つで十分なのか?”が分かります。(笑)
(ただし、すでに入手不可)0xF9F8
現在入手できる書籍でいうと、「ブレードランナーの未来世紀」(洋泉社:2006年)などがあります。なお、この本では、私がBlade Runnerと並んで好きな映画、テリー・ギリアム監督の「Brazil」(邦題:「未来世紀ブラジル」)が紹介されています。
(レイチェルの表紙が目印)
ということで、この作品、ぜひともタイムワーナーさんに、Blu-ray化をお願いしたいところです。0xF9CE
#次回は、「未来世紀ブラジル」か。