思い出を綴るシリーズです。(勝手にシリーズ化)0xF9C7
前回は、「学研電子ブロック」でしたが、今回は、Y.M.O.(Yellow Magic Orchstra)です。0xF9C5
引っ越し準備のため、部屋を片付けていたところ、その昔に買ったまま、その存在を忘れかけていたレコード(限定版)が出てきました。
いや~、ほんとうに、「本当に、好きでした。YMO」。0xF9C6
#正確には、「本当に、好きです。YMO」。(現在進行形)
職人とY.M.O.との出会いは、たしか小学校中~高学年のころだったかと思います。父親のステレオをナイショで勝手に拝借し、おそるおそるレコードに針を落として、大きなスピーカーから聴こえてきた音楽。
「TONG POO」(東風)という曲でした。あの時の、心の底から震えるような感動を、いまでも思い出すことができます。
低く唸るような低音から始まり、ハイハットのアクセントとアタックの効いたリズムが加わり、奥行きのあるブラスときらびやかなピアノが重なり、やがてノスタルジックなストリングスが主旋律を奏でていきます。
モチーフを何度も何度も重ね、さらに曲が厚みを増していきます。
それは、これまで聴いたこともないような音楽でした。当時の時代の最先端、コンピュータで作った曲であり、しかし、クラシックのような優麗な曲でもあり。
その時、思いました。
「これが未来の音楽だっ!」と。0xF9C5
#うちの父親は、「正座して、心して聴けっ!」とは言いませんでした。(from 「カルトQ YMO編」)0xF9F8
本当に、泣きたくなるようなセンチメンタルな曲でした。
何度も何度も、レコード盤がすり減ってしまうくらい、繰り返し聴き込みました。Y.M.O.の幾多の秀逸な曲の中でも、この「TONG POO」が、最高傑作だと思います。いちばん最初に聴いたという、インパクトが強いせいかも知れませんが。
#余談ですが、坂本龍一キョウジュも、
「テクノは音色(ねいろ)、センチメンタルなメロディーこそ永遠だ」
とおっしゃっています。(at 「NEO GEO」のころ)
1970年代後半の当時といえば、まだ「コンピュータで音楽を作る」ということすら一般的でなかった時代。コンピュータという無味乾燥な、無機質なツールを使っておきながら、よくこれだけ深みのある、感性に訴え掛けられる有機的な曲を創り出すことができたものだと、本当に感心します。
それに引き替え、いまの(若者の)音楽と言えば、ドンドコ・ドンドコいう低音と、シャカシャカいう耳障りな高音との単純合成でできた、ほとんどリズムとノリだけの音楽。歌っていることと言えば、「好きだ~嫌いだ~」の直接的で幼稚な歌詞。(そもそも、早口過ぎて、何を“喋って”いるのか(“歌って”いるのではない)分かりませんが)
そこには、なんの音楽的素養もエモーショナルな高まりも感じられません。まさに、営利活動のために「量産された」、評価に値しない音楽。0xF9CA
しかしながら、紀元前3,000年のエジプト遺跡のヒエログリフには、つぎのようなことが書かれています。
「いまどきの若者の堕落ぶりは、目に余るものがある。いつの日にか、この世を滅ぼすであろう」と。
え゛っ? 何が言いたいかって?0xF9C8
「いつの日にかこの世を滅ぼす」と言われてこの方、5,000年の月日が経った訳ですが、要は、「年寄りは、いつの日にも、若者のやることなすこと対して、文句を言いたがる」ということです。
言い換えると、職人も、いつの間にか「年寄りのセグメントに入ってしまった」ということでしょうか。
#いまごろ気付いたのかって?
いやいや、まだまだ「コヤジ」のつもりですけど。0xF9C7
Y.M.O.の最高傑作も、当時の年寄りからみれば、同じように感じていたかも知れませんね、という自戒を込めて、書いてみた訳です。
んが、それにしても、いまどきの若者の「ズンドコ節」(ドリフではない)には、決して相容れないものがあります。あんなノイゼをムズィークと読んだら、音楽の先人達が嘆き悲しみます。
#「いいものはいい、悪いものは悪いんでね」(from 「スネークマン・ショー」)
ということで、またも脱線してしまいましたが、、、いまもこのblogを書きながら、Y.M.O.の「最高傑作」を聴いています。0xF8DB
5,000年の時を越えても、後世に残したい一曲。0xF9C6
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