悪魔の穴開くサンティの土の墓より
ローマに縦横に現れる神秘の元素
光の道が敷かれ、聖なる試練あり
気高き探求に天使の導きあらん
この言葉から、ラングドンは、“サンティ”とは、「ラファエロ・サンティ」(1483-1520)のことで、そのラファエロが埋葬されている「パンテオン」(Pantheon)が、“啓示の道”をたどる最初の場所だと推測します。
確かに、そのパンテオンには、途方もなく巨大なドームがあり、その中心には天へとつながる大きな穴が開いています。この穴を、「悪魔の穴開く~」と考えた訳です。
しかし、ラファエロがパンテオンに埋葬されたのは1758年のことで、「ガリレオ・ガリレイ」らが暮らした時代とは大きく異なります。
ここで、「サンティの土の墓」とは、ラファエロが埋葬された墓ではなく、“ラファエロが設計した墓のことだ"と気が付きます。
すぐさま、ラングドンは、ヴィットリアとともに、ラファエロが設計したという墓がある「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会」に向かいます。
ということで、私たちも向かってみましょう。0xF9D8
地下鉄A線のフラミニオ駅(Flaminio)を出て少し歩くと、「ポポロ門」(Porta del Popolo)がそびえ立っています。
この門の内側の装飾は、建築家「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ」によって、1655年に完成されたものです。
「ポポロ門」をくぐると、目の前に「ポポロ広場」(Plazza del Popolo)が広がります。
フラミニア街道を馬車でやって来る多くの旅人たちで賑わった、ローマの北の玄関口です。
中央に立つオベリスク(高さ36m)は、初代皇帝アウグストゥスがエジプトから持ち帰ったものです。
2つの双子の教会は、右が「サンタ・マリア・ディ・ミラコリ教会」(Santa Maria del Mitacoli)、左が「サンタ・マリア・ディ・モンテサント教会」(Santa Maria del Montesanto)です。
オベリスクには、確かにヒエログリフが刻んであります。
ローマにエジプト由来のものがあるのは、少し不思議な感じがしますが、要するにエジプトから略奪してきたものです。
オベリスクの足下には、四方を守るライオンの噴水があります。
その向こうに、「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会」(Chiesa di Santa Maria del Popolo)があります。
ここが、そのポポロ教会です。
皇帝ネロの魂が悪霊になったという噂を鎮めるため、教皇パスカリス2世が1099年に創建したものです。
教会の内部です。写真では分かりにくいのですが、とても高さのある教会です。
この規模の大聖堂ともなると、内部にいくつかの礼拝堂があります。
その一つが、ここ、「キージ家礼拝堂」です。
この礼拝堂は、ラファエロがキージ家のために設計し、ベルニーニが装飾を施したもので、以前は「土の礼拝堂」(Cappella della Terra)と呼ばれていました。まさしく、「サンティの土の墓」です。
(画像は、角川書店さんから拝借)
そしてこれが、「悪魔の穴開く~」です。この場所が、ローマでの最初の事件の舞台となります。
この蓋の下の地下聖堂で、誘拐された4人の枢機卿のうち、最初の犠牲者が、口に“土”を押し込まれた残忍な方法で、アサシンによって殺害されます。
第1の元素、「土」です。
(画像は、角川書店さんから拝借)
この礼拝堂に奉られたベルニーニ作の彫刻、「ハバククと天使」が、つぎの“啓示の道”への道しるべとなるはずだったのですが・・・、残念ながらここだけ修復中でした。
(なので、写真はありません)
「天使の導きあらん」ということで、その天使の指さす“南西の方角”に向かうことにします。0xF9D8