つづいて、「ポポロ教会」から南西に向かいます。0xF9D8
地下鉄A線のオッタヴィアーノ駅(Ottaviano)を降りて少し歩くと、すぐに目的地の巨大なクーポラ(ドーム)が見えてきます。
途中で見掛けた、ヴァチカン市国の警察官です。映画にも出てきました。
(有名な衛兵さんは、後ほど)
こちら側はイタリア、向こう側はヴァチカン市国です。
284本もの巨大な柱が林立する柱廊を抜けると、
目の前に、広大な広場が広がります。「サン・ピエトロ広場」(Piazza San Pietro)です。
10,000kmの距離を越えて、遂にやってきました。
柱廊の上からは、カトリックの聖人たちが広場を見下ろしています。その数、140体。
中央のオベリスクは、エジプトのアレクサンドリアに建てられたものを、カリグラ帝がローマに運ばせました。その後、1586年に、教皇シクストゥス5世が現在の位置に移しました。
サン・ピエトロ大聖堂の前から、広場を眺めたところです。人々の大きさから、この広場がいかに広大なものであるか、お分かりいただけるでしょう。
オペリスクを中心点として、柱廊が楕円形に取り囲み、その幾何学的な焦点の位置に、2つの噴水があります。完璧なまでの左右対称性を示しています。
楕円の長径は200m、短径は165m。30万人もの人々を収容できる広さを誇ります。
サン・ピエトロ大聖堂は、ミケランジェロの設計ですが、このサン・ピエトロ広場は、ベルニーニが設計したものです。
この広大な広場も、ローマ法王が選出される時や、25年に1度の「聖なる年」には、世界中から集まったキリスト教、カトリックの信者たちで埋め尽くされます。
その人混みの中で、第2の犠牲者が出ます。誘拐された枢機卿が、鋭い刃物で胸を刺され、オベリスクの足下に倒れます。
肺にまで達した深い傷により、呼吸のたびに、ひゅうひゅうと音がします。その音は、まるで“風”のようです。
やがて、枢機卿は息絶えます。
その枢機卿が倒れたオベリスクの足下には、つぎの“啓示の道”への手掛かりがあります。
その手掛かりが、これ、「西の風」(West Panente)です。
第2の元素、「風」(空気)です。
この大理石でできた楕円形のレリーフ(メダイヨン)は、オベリスクの周囲、東西南北の8方向に埋め込まれています。
メダイヨンに描かれているのは、ギリシャ神話の神、「ゼピュロス」(西風の神)です。ゼピュロスの口から力強く吹き出された息(風)は、“5”本の筋として描かれています。
その“3”本目の息は、サン・サンピエトロ大聖堂のある方向とは逆、すなわちヴァチカンの真東を示しています。
それでは、ゼピュロスの息の示す“東の方角”に向かってみましょう。0xF9D8
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